小学生のころ、5月は1年の中で一番大好きな月でした。バラが咲き、木々が芽吹き、空気が夏に向かって明るく寒くもなく暑くもなく。自然に明るい気持ちになる日々でした。48年前の冬、12歳の冬までは。理不尽な大人によって、私は5月を楽しむことが、できなくなっていました。「好きなものを好き」と言ってはいけない。自分の心地よいことは何だったのか?わからなくなってきました。自分の一挙手一投足に誰かの視線が注がれているような気がして、学校に行かず親に買ってもらった村岡花子さん訳の「赤毛のアン」全集を毎晩、妹とむさぼるように読むことが心の支えでした。
私が今でも「アンのような人になりたい」と思わせる、強烈な場面があります。それは、孤児院からマリㇻとマシュウという老姉弟に引き取られたばかりのある日、マリㇻの近所に住む地域のお世話役的なレイチェル・リンド夫人にアンの容姿についてアンの目の前で野菜やペットの値踏みをするような言い方で「何でこんな子を引き取ったの?」と非難されたことにアン自身が猛烈に抗議した場面です。12歳だった私は、近所の心無い大人の、子どもを「人格を持つ存在」として尊重しない言動にどう立ち向かっていいのかわからず「自分を見ないで」と自宅の一室に閉じこもることしかできなかった。「自分をないがしろにされたことに猛然と抗議できる誇り高いアンのように生きたい」と今でもずっとあこがれています。
2021年2月にウクライナ侵略が起こり、スーダンでも爆撃から逃れられない弱い立場の人たちをないがしろにする、人をもののように扱う、横暴な理性のない力が、世界を覆っています。120年近く前にかかれたアンの生みの親ルーシー=モード=モンゴメリの生きていた当時も、カナダ政府が先住民をキリスト教の寄宿舎に連れてきて同化政策をとっていた時代でした。
日本でも、爆撃こそないけれど「ウクライナのようにならないために自衛をするんだ」と、自衛とはとても思えないようなミサイルや自衛隊を「核シェルター化」するような予算を組むために躍起になっている政府。日本を頼って逃げてきた難民の方々を扱う法案が国連から人権上問題があると指摘をされるほどの認識なのに先進国首脳会議の議長国の地位にしがみついているように見える政府。女性の人権が踏みにじられていた戦前に戻っているようなこんな状況下でも、明治時代の家父長制・家制度の価値観に縛られた「強制性交等罪」の名称をこの3月に「不同意性交等罪」に変更する改正案が閣議決定され、昨日9日国会に、文字通り「改正法案」として審議入りされました。2017年に「強姦罪」から「強制性交等罪」に変更された後、2019年4月から始まったフラワーデモで私たちが声を上げ続けたことが政府を動かしました。「あきらめないで声を上げ続けること」「言葉にならないときもつながって心を寄せ続けること」が必ず希望を運んでくれると信じて積み上げてきた5月。私の48年後の今の5月は、優しくて力強い自分を感じる5月です。
2023年 5月 フラワーデモ調布
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