フラワーデモ福山(広島)・奥野しのぶ
1945年8月6日。
ここ広島に1発の原子爆弾が投下されました。
当時広島市内にいた35万人の暮らしを一瞬で恐怖の底に叩きつけ、1945年12月末までに、14万人の命を奪いました。生き残った人々は後障害に苦しみ、いつ発症するかわからない不安や言い知れぬ罪悪感を抱えて生きてこられました。
1発の原子爆弾は、人々の命だけではなく、人々の尊厳を奪ったのです。「私はかけがえのない大切な存在だ」という尊厳を原子爆弾は一瞬にして35万人の人々から奪ったのです。
1955年に被害者は日本政府を相手に慰謝料支払いの裁判を起こしましたが、1963年、東京地方裁判所は、原爆投下は国際法に違反すると判断しながらも、原告の請求を棄却しています。日本政府は、サンフランシスコ講和条約によって損害賠償請求権を放棄したため、アメリカは何ら責任を果たしていません。
そして、2022年10月26日。
保育園の頃から中学2年生になるまでの10年間、父親からの性虐待を受けてきた40代の女性が2020年8月に提訴した損害賠償請求に対し広島地方裁判所は、10代後半には精神的苦痛を受けていたとして遅くとも20歳になったときから20年が経過した提訴前の時点で賠償請求できる権利が消滅したとする判断を示し、性的虐待の事実を認定しながらも女性の訴えを退けました。
加害者である父親側は性的な行為をしたことは認める一方で、時間の経過によって女性が賠償請求できる権利は消滅していると損害賠償の除斥期間という法的根拠を持ち出し「時効」を主張していました。加害者を容認する法律によって、一人の女性の人権が社会からも踏みにじられたのです。
2019年4月11日。フラワーデモははじまりました。
あいついだ性暴力無罪判決にいてもたってもいられない人々が、東京と大阪に集い、フラワーデモは始まりました。
2019年8月に福山で初めてのフラワーデモを開催しました。その後は、サイレントスタンディングを続けてきましたが、私が呼びかけをして来なかったので、フラワーデモ福山の活動は続かず、時間があるときにこっそり一人でスタンディングしているだけの私でした。
そんな中、全国のフラワーデモの仲間たちが、被害者支援、裁判の支援、政治家へのロビー活動など、性暴力根絶のための運動をそれぞれの地域で発展させてきていることに私は後ろめたさを感じていました。
今日は、広島地方裁判所で闘っている彼女に連帯したいと思い、私も声をあげようと勇気
をもらってここに立っています。
冒頭に述べた「広島・長崎の原爆被害者による裁判」は、地裁により棄却はされましたが、全くの無駄だったわけではありません。その後も連帯と運動を続けることによって、わずかながら原爆被爆者の医療・福祉の法的根拠となって実を結んでいます。
広島地方裁判所に訴えを退けられた40代の女性は、控訴する予定と聞いています。裁判に勝っても負けても、彼女の苦しみは消えるわけではないかもしれません。それでも、「身近に性的虐待があることを世間に知らせ、被害をなくしたい」という彼女の思いに連帯していきましょう。
私は、父親から子どもへの性虐待がある家庭には、DV(ドメスティックバイオレンス)があると感じています。母親は夫から身体的・精神的・経済的・性的に何らかの抑圧によって支配されていることがほとんどではないでしょうか。
子どもが母親に助けを求めても、気づいてほしいとサインを送っても、母親がそれに気づくことができないか、「何もできない」と知らぬ顔をされてしまうことも多く起こっています。
子どものためにと何とか支配から抜け出すことができた母親もたくさんいます。
子どもへの性虐待があったため、DVから離れて行政の支援を受けることになっても、「子どもを助けなかった母親」と判断されてネグレクト扱いされ、子どもは一時保護となり母親と別々の暮らしを強いられる場合があります。子どもが一時保護所から帰る時、母親に精神障害があるということで、子どもの親権が父親になることも少なくありません。
面会交流調停では、性的虐待があった父親との面会交流の取り決めがなされる事例はたくさんあります。
裁判所に関わる全ての人は、DVの力関係やジェンダーバイアスについてもっと学ぶべきです。
性暴力・性虐待の被害者がどういう心理状態になるのかもっと学ぶべきです。
加害者がどんな考え方を身につけ、そしてそれを身につけた社会背景にはどんな社会構造があったのかを学ぶべきです。
性暴力は、個人の性欲の問題ではありません。
私は家庭の中の暴力をなくしていくために、声を上げ続けます。
性暴力のない世界、性差別のない世界を目指して、皆さん一緒に声をあげていきましょう。
2022年11月11日
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